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猟犬の迷子、殺処分問題の解決は誰がやるの? 

12-92四賀保福寺峠オス

保健所職員の撮った写真が一番きれいに取れているので・・
四賀のなんたら峠で保護された猟犬です

何かのついでで、過去メール探していたら
昨年の今頃 県とやり取りしたものが目に留まり・・
改めて読んで、いらいら・・・っとなりました。

昨年は猟犬がとても多かったんで
別途登録についてや、マイクロチップ義務化などの提案と
その他の意見を含めて送ったのですが

・・・・・・
まぁ、聞き及びました・・で終わりますね。


行政主導、ってのは見えないですからね
特に長野県の場合。

行政の長も、動物愛護会の会長である県議も
動物問題には全く触れない。

確かに処分数は他県より少ないけど
それは、民間ボランティアが頑張っているからじゃないの?って思います。

ハローアニマルは たまにイベントとかやっているけど
「何とかづくり~」とか「ふれあい祭り~」みたいなのが多い。

それこそ、行政が主導してやることじゃなのでは?

たぶん、彼らのいう動物愛護が
「動物と楽しく触れ合い仲良くすること」という域にとどまっているのだろう
と私は思っています。

たしかに 動物と仲良くするのは大事。
でも・・
それだけでは動物愛護とは言えないと思うのですが・・。

人間の生活を潤すために動物を利用している
人間の楽しみのために動物を利用している
役に立つ動物、かわいい動物、賢い動物だけが価値があって
必要ないものは冷たく処分されても仕方ない・・

そういう・・思想が根底にあるように思えてなりません。


人々が楽しみを求めたり
金儲けにいそしんだり
人間の利益を何よりも優先することにためらいがない社会は

不用動物と名付けて 命を処分することにも躊躇がない社会となります。

使えるものは使う、使えないものは捨てる

大量生産、大量消費 効率優先社会は 
命も商品にしてしまった社会です。

そして、それを容認している人がとても多い。

動物愛護精神とは、それらとは全く別の方向をむいていなければならない
と思うのですが
動物愛護は、好きな動物とだけ仲良くすることだと
いまだに思っている人が多いということです。

私は、動物愛護の新参者なので
これにはかなりびっくりしました。

そういう、逆方向を向いている人が動物と言うキーワードだけで
一緒にされても
実はまったく異質だったりするわけです

たとえば、
犬好きと言われる人でも、殺処分される犬にまったく同情の念も持たない人もいる。

自分の犬猫を過剰にかわいがる人を
結構世間が冷たい視線で見ることが多いのは

それは、愛、ではなくて 執着やエゴの延長でしかないからだと思います。

すべてのものを平等に愛しなさい、なんて
神様みたいなことを要求しているのではないけれど

あまりに限定的な愛情は
自分だけ良ければいい、と言うのとあまり変わらない、ということ

また、好きじゃなくてもどうでもいいのだけれども

自分の関心の及ばないものには、なんの憐れみも感じない
痛み苦しんでも別にいい というのは
人としてあるべき姿とはいえないこと

は、確かだと思います。

 非常に、説教くさい記事内容で なんだかなぁ、と自分でも思いますが・・・


ペットショップやブリーダー批判、生体販売批判問題をみても
批判する側も、される側も
犬や猫が好き、という言葉でくくると一緒になってしまったりします。

どんどん子供を産ませて、遠路はるばる都会のオークション会場に次々犬を送り出すブリーダーが
「犬が好きなんです」と言うのは、よくある話。

動物愛護の世界が混乱しているのは、こういう理由です。


動物は人のために存在している、と言う考えはキリスト教に由来します。
西洋文化の輸入とともに、私たち日本人も、この考え方を選び取りました。
経済動物、産業動物、実験動物、など・・

過去の歴史にはなかった扱いが認められていくようになるのです。
動物にとっては暗黒時代です

利用価値がない、となれば、それだけで殺されます。
口蹄疫だって、治る病気なのに、経済効率のために皆殺しになります。
(いずれは殺されるのだけど・・)

動物は人間のためにあるのか、そうではないのか

そのどちらをとるかで、すべての態度が決まってくると思います。
今の社会は、いまだ前者が優勢です。

でも、そういったエゴイスティックな傲慢さが間違っているということを
認識できるときはいずれくることでしょう。

みなさんは
行政が 殺処分になる収容動物に「不用動物」と名前を付けていたのを知っていますか?
いまだに、その言葉を使っているところも人もいるとは思いますが・・

初めてその文字をみたとき(直にではないです)
耳で聞いたとき

自分のいる社会がどういうところか改めて理解しショックをうけました。


「動物を人間のために利用して何が悪い」
というのが欧米から輸入された思想であるとはいえ
一度定着した思想は容易に変わることはありません。
ただ、本家本元である
動物利用を推進してきた側の欧米から真の動物愛護精神が生まれているのも事実
日本はこれまた後追い状態です。

どんどん、話がマニアック? になってきましたが・・

単に、犬が好きだから、猫が好きだから
だけで取り組んできたことではありません。(私個人の思いは)
目の前にいるのは、迷子犬や
人間に見捨てられてしまった犬猫さんたちですが・・・

「動物を利用して何が悪い」という価値観が、根底から一掃されることをなにより願っています。
長いようで、短い間に変わっていく気もしていますが
そういう人が行政の内部にいる限りは、行政主導の改革は難しいので
なにを言っても 馬耳東風 というところでしょうか


猟犬問題から どんどん話がずれてきましたけど

どこかの行政で、一発、
すべての猟犬にマイクロチップの装着を義務付けます、とか
やらないかなぁ・・

それか 広報でがっつり、放棄される犬について取り上げてみる、とか。

どれもやる気がないのが、何とも残念です。






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