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これは一時?それとも・・・? 

金曜日に老犬が収容された模様ですが・・
ハーネス付きだし
飼い主さんのもとにきっと帰れるだろうと思います。
追記17日 先週末すでにお帰りになられたそうでした

早速FMまつもとで
迷い犬の広報が流れたらしいです
画期的ですね

つい過去と比べてしまうのですが
ものすご~い変化なのです

迷子のポスター貼ってはいけない
ブログにも載せてはいけない

・・と 最初のころ言われていました
(私だけじゃなくってね)

飼い主に帰す努力、というのを全くというほどしていなかった保健所

唯一自慢できるシステム であった写真つきのHP(飼い主探しインフォメーション)は
元県知事田中康夫の発案だそうですから・・・
(そういう鶴の一声が、お役所はきらいみたいですけどね~)

現場としては、もくもくと過去からの踏襲を続けて
こっそり社会の陰で殺処分し続けて行こうとしていたわけです

「ひっそりこっそり・・そういうのってよくないわー!」
というのは私がこの問題を知った最初に思ったことですけども

非難されることを恐れて。
なにより・・面倒を避けたい気持ちが強くて。

だと個人的に分析しました(@_@。

それが公務員気質、というものなのか・・と思うようにもなって
苛立ちや諦めや不信感や違和感
そんなものをたくさん抱えて、半ば喧嘩腰でもって
保健所にかかわっていきました。

外から何がわかる!というお怒りも当然あるだろうけれども
(動物愛護には確かに過激でおかしな人も多いから(汗))

中にいたら見えないもの というのも確実にあります。

部外者お断り、の空気が恐ろしく強い場所こそ
部外者の介入が必要な場所だ という確信を持ちました。

公務 とは公のための仕事 であるので
なにはなくとも 「本来は」オープンであることは鉄則なのです

捨てる人が悪い という主張を行政は繰り返してきました。
確かに捨てる人が悪い
もっといえば悪質なブリーダーや金儲け主義のペットショップや
世の中のシステムが悪い

でも、何が悪いあれが悪い、というまえに
自分のところでできることをしようよ、と思うんです。
(これは、わたしも学んだことではありますね・・・・)

「我々も殺したいわけではない」

というのは よく目にする言葉ではありますし
潜在的に多くの職員が持っている言い訳、だったりするのですが

では、その(改善)ために何か努力していますか?と問えば
何も言葉は返ってこない、という状況でもありました。

職務遂行。
保健所の職務 とは不用犬とされた犬を殺すこと。
(ちなみに、猫に関する法的な処分理由はなにもありません)

それ以上のことは仕事じゃない。

迷い犬の飼い主を積極的に探したり
犬の世話したり
あたらしい飼い主を探したり
住民に啓発したり

は仕事じゃない。 ・・・というのが

つい数年前の 私のみた保健所の姿でした。

公務員の(だけじゃないかな?)よくある弊害として
「決まったこと以上の仕事をやると怒られる」
というのがあるようです

みんながやっていなければ 非難されないけど
一部がやりだすと
やらないことが怠慢 と捉えられてしまう・・というものです

なので、なにかいいことをしているところがあっても
「あそこは例外」と 割り切ったりなんかもします

何処の組織も 個人はそれぞれの考えを持っているのでしょうが
全体として、そういう風潮になるのが役所というところだと感じています。

だから 全体として見たときは腹が立つことが多い(笑)

でも、個人個人としてみたら
みんな同じように 感じたり考えたり悩んだりする人間なので・・・

全体としてみるのではなく 個々の集まりとしてみていくと
また見え方が違ってくるものだ、ということを 
そこそこな年月で 実感したりなんかしています
(なんか訳わからんこと言ってる(^_^;))

話が大幅にずれますが・・
国家批判とか 民族批判とか 大きくなるとそういう全体批判があったりしますけど
(〇〇人嫌い~、みたいなやつ最近殊に聞く)
そういうレベルでも、やっぱり個人というのを忘れてはいけないだろうなぁ、と思うわけです。
中にはいろんな人がいる、ということ。
当たり前なのに、人間はよく忘れます。

そして、人は変わらないようでいて変わる、とういことです。
空気も同様。

いぬの会 と名前をつけ やみくもに先も見えずに動き始めてちょうど三年。
あまりの変化に 振り返る度に驚きます。
そして、少なからず、いい変化に加担できたことに ほっとしてもいます。

そして、これが持続性ある変化であって 
揺り戻し、みたいなことにならないようにと願ってもいます。

いまの この収容犬の少なさが
とってもびっくり、で・・

さてはて、昨年どうだっけか?と思ってブログをみたら
昨年の3月15日はこんな感じでした。
保健所の周りの風景

なんだろうな~
なにがおきたんだろうな~??

と思うのですが

やっぱり、ひとつには 
周辺全体の意識が変わってきたかな?と思ったりするわけです。

なにかにつけて、保健所という存在が表にでるようになりました。
もはや、隠されていない、ということ。

新聞にも、いろんな理由でよくでましたよね。
フェンスの増設募金の時も(笑)、
保護団体ゆめまるhappy隊さんの記事や
長野保健所優秀~って言う最近の記事や、いろいろと・・・。

そして、保健所が迷子犬を文字で広報するようになりました!
市民タイムスと、タウン情報。
(何度も言うけど、これが一番 すごいこと&すばらしいこと)

さら~に FMまつもと とくれば その広報パワーは
過去の数万倍です (いやまじで)

私たちが、地味にポスター貼っていた、という過去もありますので
それだって絶対に効果はあったはず。
(現在頑張って遺棄防止ポスター貼ってくれてる方もいますね~♪すばらしい)

今散歩ボラはされてないけど、塩尻で頑張って貼って回ってくれた人もいました
(今個人で猫保護ボラさんしています)
他にもちょこちょこ手伝ってくれた人もいました。

「あなたの迷子犬は保健所にいるかも!」

という広報がまず足りてな~い!(怒)
というのが 初めに感じた課題でしたから

その点では、とっても大きな進歩があった、と思うのです。

「そのうち帰ってくるだろう」と言っているうちに
保健所に収容されガス室で苦しみ死んでいた・・という 酷い話。
それがばれるのも嫌だから、迷子の貼り紙とかブログ掲載とか
派手に人目にふれるようなこともしたくない、という・・・後ろ向きな行政姿勢。

それがガラリと変わりました。

だれがどうの、ということじゃなく
誰かが撒いた小さな種のひとつひとつ実になってきている・・と言うことだと思います。

当たり前が 当たり前じゃなくなる
当たり前じゃないことが 当たり前になる・・

それは 結果としてそうなるものなので
意図してできることではないのだけど

よくなることを願って何かした小さな行動が
たとえ小さくても確実に波紋を残すものだ、と思います。

なので、 犬猫問題にかかわらず・・なんでもそうですが

これっておかしい、これってよくない

と思うことがあったら、なにかアクションできたらよいと思います
言葉にするだけでも(文字でも)意義はあります

犬猫問題は 人間が動物にどうかかわっていくべきか
どう扱うべきかの 最先端に位置する問題だろうと思いますが
動物はもちろん犬と猫だけではないので

私たち同様に痛み苦しむ心がある動物たちに 
人類がどれほどの慈悲をもてるのか
というのが 今後の絶えざる人類の一つのテーマだろう、と考えます
(偉く大きくでたぞ^^)


ただ・・・

動物問題の根底は

人間社会全体が
効率やら経済やら便利さや快適さや快楽(ペットもある意味、娯楽快楽に含まれます)ばかりを追い求めて
精神性や倫理観を後回しにしてきていることにつきます
学校教育が知識の詰め込みに偏っている、という問題もあります。
科学万能主義の思想はまだまだ健在です。科学万能主義は唯物思想でもあります。
「犬猫はものじゃない」などと愛護活動家は訴えてきましたが
唯物思想は、ともすると「人も物のように扱う」思想でもあります。


関心がある人は知っていると思いますが
化粧品ごときのために、動物が苦しめられ犠牲にされ殺されてもいます。
ウサギの目に薬物を入れて、何日で目が腐るか、というのをやっています。
当然身動き取れない状況に置かれて、です。

おしゃれのために 痛み苦しみ殺され続けるどうぶつがいます
毛皮なんて 最たるものです 
生きたまま剥ぎ取られています
犬も猫も含まれています。知らなければ平気で身に着けられますか?

それらを許容しているのが 現代社会であり
根拠は 消費優先、経済優先、つまりは
金儲けならなにしたっていいじゃないか、という世界に私たちは住んでいるわけです。

動物愛護をいくら頑張っても 本家本元は
実はこの社会のシステムにあります。

動物が利益を生む。金儲けの道具になる。
そのことに夢中になった人間が かれらに慈悲の心など持てるはずがないからです。

人類の発展のためには、他を犠牲にしても仕方ない
というのが 近代西洋哲学の価値観です
それをそのまま輸入したのが 今の日本の価値観です

でもそれも永遠ではありません。
単に一つの考え方に過ぎない。

誰もが正しいと教えられた進化論だって
「一つの仮説」に過ぎない、と言われ始めています。
(ますます どっか話が飛んでいる?)

「人間の暮らしを快適にするためには動物の苦しみなんて考えてはいられない」
という価値観は人間のエゴに基づいたものです

人間さえよければ、というのはいずれ
自分さえよければ という考えにつながります。
そして、社会が殺伐として行きます。

自殺防止月間なんて そんなものを作るような社会に生きていることを考えると
この社会が大きく間違っていることがわかります。

・・・とまぁ、話を広げるだけ広げといて

やれることは目の前の小さなことなので
欲張らずに、やっていきたいですね。

小さいことしかできなくていいのですが
小さくてもなにかすることが大事だと思っています

なにをしたらいいのかわからない、と思う人は
とにかくアンテナをたくさん貼って
いろいろ知ることだろうと思います。


収容犬がどんどん減っている今の状態が
変化の流れにのったものであることを期待して一筆(論文かいっ)書きました。
たまにはいいかな?

暖かくなったら、また爆発~ となりませんように。

気が抜けるくらいが いいことなんで
私たちボランティアも、
お散歩隊しなくても、見守り隊レベルで^^
ぼちぼちやりたいと思います。











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